チキリン・デ・バチン・・・

チキリン・デ・バチン・・・

 

こんにちは!

え?何でバチンするの?っと思いましたか?

そう、チキリンでバチンするのです。

痛そう。

いやいや、失礼しました。

今日のアルゼンチン通信は、少々タンゴのある曲に迫ってみようと思います。

その名は、『チキリン・デ・バチン』(Chiquilín de Bachin)  バチンのチキリン。

この曲は1968年の作品で作曲者は、アストル・ピアソラ(Astor Piazzolla)。

作詞は、ピアソラとの共作が多く残っているオラシオ・フェレール (Horacio Ferrer ) 。

 

彼らの歴史や、音楽の事を挙げるときりがないと思われるので、今日は書きません・・・

 

さて、なぜこの曲を取り上げたかというと、この曲にちなんだレストランがあるのです。

ブエノスアイレスに来て、もしこの曲を既に知っていたら、一度行ってみて、あぁここかーーー!と感じてみてください。

 

 

タンゴの曲の舞台になった場所というのは、本当にたくさんあります。が、ここはその一つ。

 

このChiquilín というレストランは町の中心地にあり、夜遅く2時くらいまであいています。値段は、激安!というわけではなく、わりときちんとした値段をとりますが、モッソ(ウェイター)の感じもきちんとしていて、安心だと思います。

 

ちなみに、この曲。舞台になったのは、Bachin(バチン)というレストラン。

しかし、今は、バチンは残っていなくて、その1ブロッグ違いにChiquín (チキン)というレストランがあり、今回はここへゴー!(Chiquín の他にChiquilín (チキリン)というレストランも同じオーナーがやっていたのですが、今はこれもない・・)

 

 

さて、この曲、チキリン・デ・バチンが作られたのは1968年ですが、でも、この地域に行くと、まだこの歌詞の面影がよく伝わるし、この地区の雰囲気というのは50年ほど経った今でも、基本的な事は、変わらないのかもしれないな・・・という印象を受けました。

 

また少しこの地域に以前2ヶ月程住んだ事もありましたので、何となく町のイメージはできていたのですが、歌詞と並べてみてみると、リヤリティが増して、なかなかおもしろいものです。

 

この地区San Nicolás (サン・ニコラス)は、有名なオベリスコの周辺で、昼も夜も大通りは賑やか。

 

ネオンピカピカ。筋を入ると、オフィスなどもたくさんあるので、月曜から金曜までは、どの筋も昼は人で溢れています。

 

また、そんな事からレストランも多い界隈です。しかし、賑やかさと裏腹に週末や休みはしーーんと静まり返っていますし、華やかな世界と逆に、物を手売りで売ってまわり、ゴミ箱を浅り、残り物や捨てられたもので生活の糸を繋いでいる人達も多いのです。

 

食べものは見えないが、あさられた後のゴミ箱。


 

さて、チキリン・デ・バチンは、そんな地区の一角にあったレストラン『バチン』にその花売り少年が現れる、この少年(チキリン)が主人公ですが、詩を語っているのは、このバチンで食事をしていた(お酒を飲んでいた)富裕層の人です。

裕福な家庭の子供が学校に行って勉強している間に、ゴミ箱をあさり、娼婦の母親が客引きのために町をうろうろするのを見て、自分もそれについてまわり、夜は花を売る仕事をする、そしてゴミ箱をあさって飢えをしのいで生活している少年。

そんな彼を見て、リッチにレストランで食事をしているのに、売りに来たバラの花を買う事ができない、その自分の行動に恥を覚えると同時に悲しく、申し訳ない気持ちを歌っている。

 

Por las noches, cara sucia
de angelito con bluyín,
vende rosas por las mesas
del boliche de Bachín.

夜になると、汚れた顔のブルージーンズの天使達が、

バチンというレストランのテーブルにバラを売りに来る。

Si la luna brilla
sobre la parrilla,
come luna y pan de hollín.

月が光り、パリージャの隣で、

月とすすのパンを食べる

Cada día en su tristeza
que no quiere amanecer,
lo madruga un seis de enero
con la estrella del revés,
y tres reyes gatos
roban sus zapatos,
uno izquierdo y el otro ¡también!
毎日悲しみの中にいるので、朝になって欲しくない。

1月6日には星の光とともに早起きをする。

すると、3匹の聖なる猫が彼の靴を盗む

左・・・そしてもう片方も!

(1月6日は、キリスト教での公現祭にあたる日ですが、アルゼンチンではその日に子供たちが靴を置いて寝て、起きたら贈り物が入ってる。という習慣の一つがあります。が、この少年は、プレゼントを楽しみに起きたのに、猫が靴を奪っていったという悲しい様子が書かれている。)

 

Chiquilín,
dame un ramo de voz,
así salgo a vender
mis vergüenzas en flor.
Baleáme con tres rosas
que duelan a cuenta
del hambre que no te entendí,
Chiquilín.
チキリン、一束の声を私におくれ

そうすれば、花となった私の恥を売りにいこう。

3本のバラで私を撃ってくれ

私があなたの空腹を理解しなかった

その償いが痛むように

チキリン・・・

(この詩の語り手とでも言える人物は、バチンで食事でもしていたのでしょう。そこにやってきたバラ売り少年を見て、可哀想だと思いながらも、他の人の目などが気になり、バラを買う事ができなかった。ごめんよ。君の空腹を理解できなかったなんて、なんて恥ずかしい事だ・・・ごめんよ・・・そのバラで私を撃ち殺してくれ。と言う解釈)

Cuando el sol pone a los pibes
delantales de aprender,
él aprende cuánto cero
le quedaba por saber.
Y a su madre mira,
yira que te yira,
pero no la quiere ver.

太陽の光が子供たちを照らして、

勉強をしている時

少年(チキリン)はゼロを学び

それを知るためにそこにとどまっている。

彼は母親を見る

彼女は客を捕まえるために町をまわり

そして少年にもまわらせる

けれど、少年は彼女を見たくない・・・

 

(この部分の前半で、まだ理解がよくできないのは、少年が勉強をしていないので、ゼロ(0)が何なのかわかっていないから、それから学ぶ。という事なのか、もしくは、彼自身が何も持っていないゼロの状態だという事を認識する事を知る。という事なのか・・・まだ疑問が残っています。はっきりしたら、ここで訂正したいと思います。また彼女の母親は、きっと売春婦でなので客を見つけるために町をうろうろ回っているのでしょう。)

 

Cada aurora, en la basura,
con un pan y un tallarín,
se fabrica un barrilete
para irse ¡y sigue aquí!
Es un hombre extraño,
niño de mil años,
que por dentro le enreda el piolín.

毎朝、ゴミ箱の中の

パンとパスタで帆を作る

そこから出て行くために。でも、まだここにいる!

その子は、奇妙な(不思議な)男性

心の中で糸が絡まっている

まるで1000歳の子供のようだ

(tallarín というのはパスタ押しつぶしたような少し幅の太い感じの麺です。きしめん的。パンとタジャリンで帆をつくり、その自分の環境からの脱出を願っている。汚れた顔、疲れた顔、毎日悲しみの生活から、とても“少年”には見えず、年老いた子供に見える。)

 

Chiquilín,
dame un ramo de voz,
así salgo a vender
mis vergüenzas en flor.
Baleáme con tres rosas
que duelan a cuenta
del hambre que no te entendí,
Chiquilín.

 


 

レストランの中はこんな感じ

 

そしてお料理の一部

とってもおいしかったです。

 

この日は、もの売り少年は現れませんでしたが、でも、今もよく入ってきます。

物うりは、テーブルに勝手に物を置いて(見てもらうために)行く事もありますが、欲しいなと思ったら買う、買わなくても全然大丈夫ですので、心配しないでください。

 

しかし、タンゴの歌詞には、その時の情勢や、政治や何かに対する批判、町の様子を語っている物が多いのですが、このチキリン・デ・バチンもその一つ。アルゼンチンには、一般的・日常的に貧富の差が共存していて、今も同じ状況が続いています。

 

 

そんな訳で、今日はタンゴの生まれたある場所についてでした♪

 

Hasta la próxima!


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Pinocoaデザイナー&南米担当:大長志野