宗教のおはなし

Pinocoaのブログカテゴリーを拡大していって、記事が増えていっても見つけやすく見やすく工夫しています。

今回は小話というカテゴリーを追加してみました。

別にオチがあるわけでもなく、なんとなく綴っていけるような軽い記事にしていきたいと思っています。他にもPiano技術の話や、録音技術、循環型生活のカテゴリーを追加予定。

第一回目の小話は宗教について。

「僕は小乗仏教徒です。」

というと、ほとんどの人は「聞いたことがない。」稀に「宗派は?」などと聞かれます。

なんとなく現代の日本では宗教の話をタブー視する傾向にあるように思えます。

それはやはり世界最大規模のテロ事件を起こしたオウム真理教の影響なのでは?!と推測しています。

当時は小学生でしたが、テレビでもガンガン出演し、信者数は鰻登りで増えていき、社会に強烈なインパクトを与えていました。

そんな影響からか、宗教の話を切り出す人も少ないし、自分の宗教観などを語る機会も少ない社会だと思います。


最近は、黒住教関係の方とお話しする機会がたくさんあり、宗教のことについてや、個々の宗教観などについて議論する時間をたくさんいただいています。

神力車さんとの繋がりで新しい世界観も見せていただいています。

宗教については決してタブー視することなく、どんどん発信していこうと思っています。


「私は無宗教です」「無神論者です」「宗教は嫌いです」という方は大概神を論じることができない人が多いという印象です。

論じれないから無神論者ですと言っているのではないでしょうか。

もちろん宗教が嫌いな理由もわかっていないでしょう。

無宗教で、無神論者であれば、論じれるはずです。

論じれなければ、「よくわかりません」が正確な回答ではないでしょうか。

人は産まれてから、学校や会社、社会とのつながりの中で、多くの思想、考え方、論理を通過して成長していきます。

多かれ少なかれなんらかの信仰が必ずあるはずです。

家に帰ってあつーい湯に入ろうかな〜「あーーーー気持ち良い。。。癒される。。。疲れが取れるな〜」これも立派な信仰心です。

疲れが取れるわけがありません。体温を超える湯船に浸かると時間経過ごとに体力は奪われ、衰弱していくはずです。

お母さんが一生懸命早起きして作ってくれたお弁当を踏みつけられないでしょう。

これも信仰心です。

小乗仏教を極めれば踏みつけられるでしょうけど。


さて、黒住教など神道の八百万の神という概念は、多神教の典型であり、他宗教を否定しません。

他宗教が定義する神も神だからです。

宗教をタブー視するほとんどの理由は絶対神、つまり一神教の神の否定肯定にあると思います。

故に争い、否定しあい、教えられた絶対神を肯定するための論理展開をしていこうとします。

実際に世界で起こっている戦争(当然理由は資本主義経済の穴ですが)理由付けされている宗教争いはえてして一神教です。

ユダヤ教、キリスト教、イスラム教。

これらは明確に唯一絶対の神が存在します。

その神を否定されると反発するというロジックは仕方ないとも言えます。

しかし、唯一絶対の神自体は現代では提唱し続けるのは難しくなってきていると個人的に考えています。

不確定性原理をめぐる議論は神(唯一絶対の神)の否定を示唆しています。

有名なアインシュタインの言葉がある議論です「Der Alte würfelt nicht.」→「神はサイコロを振らない」

コペンハーゲン解釈が証明されると、全知全能の神は全否定されるということでしょうか。

ただ、アインシュタインの言葉は彼の言葉らしく、知性に対する飽くなき探究心を表していると感じました。

アインシュタインが神の持つサイコロを定義できなかった(宇宙の統一理論を確立できなかった)とすると、コペンハーゲン解釈が有力なのかも????しれません。

この辺りまだまだ勉強不足なので、いつの日かまた改めて小話の記事に書きたいと思います。

ちなみに、多神教は例えばアイヌ、道教、ヒンドゥー教、古代エジプトや、有名どころでは古代ギリシャ、アンデス地域、もちろん神道もです。

なかなか戦争関連には聞かない名前ですね。


さて、神道に関してはこれからもっと自分自身勉強に励んでいこうと思っていますが、今日は仏教に関して。

仏教は多神教であるとする説がありますが、無神論的宗教としての位置付けもあり、議論が分かれているそう。

仏教の場合は釈迦が自身の崇拝を禁じているのでお釈迦さまは神様ではありません。

もちろん仏陀も神ではありません。

ちなみにご存知の方もいらっしゃるでしょうが、仏陀というのは「悟った人」という意味であり、釈迦ももちろん仏陀ですが、その弟子含めておそらくたくさんの仏陀がいるということです。

小乗仏教というのはライセンスフリーの哲学であり、そういう意味では無神論的宗教と言えるかもしれません。

釈迦は「オレの考えや価値観はどんどん広めてええで!しかもそれで宗教つくってもええで!ライセンスフリーじゃ!ただ、オレを崇拝だけはするなよ〜後世で絶対めんどくさいことなるからな!」

といって死んでいきます。

つまり釈迦は哲学者で且つ一代限りの名CEOといったイメージでしょうか。


さて、ではなぜ普通に「仏教です」と名乗らないのか?

それは日本仏教とも言われる大乗仏教に関してあまりいいイメージをもっていないため、明確に小乗仏教徒であると区別して言っています。

小乗仏教の代表的存在だと上座部仏教でしょうか。

支配のない己との対峙です。

最近人気のヴィパッサナー瞑想もこの上座部仏教の瞑想法です。

大乗仏教になると、支配のない己との対峙というわけにはいかなくなります。

しっかりとしたビジネスモデルがあり、組織として効率的に機能していきます。

釈迦の考え方は全てライセンスフリーなので、もちろんなんの問題もないでしょう。

僕自身も何も聖地にいって、信者と認めてもらったわけでも、キリストの洗礼のような何か特別な儀式を受けたわけではありません。

勝手に「小乗仏教徒です。」と名乗っているだけです。

死んだら誰かから戒名をもらうわけでもありません。

僕には戒名など必要ありません。


とまあ今日は自己紹介的に僕の個人的な思想や宗教観について書いてみました。

Pinocoaの小話第一回目「宗教について」お楽しみいただけましたか?!

Pinocoaは世界とともに一つの芸術の形作っていきたいと思っています。

宗教による差別や区別、争いなど一刻も早くなくならないかという想いと、宗教自体を哲学的な目で見ると、争いや論争はなくなると考えています。

なにより、世界が平和で世界が創造し続けられることを願っています。


Pinocoa総合プロデューサー:Kotaro Hattori