日野皓正氏の話題について想うこと。

こんにちは。

Pinocoaプロデューサーの服部洸太郎です。

僕は一日に二回ニュースを見ます。朝起きて一回、お昼にテレビで。

昨日は二回とも目に入ったニュースでした。

日野皓正氏の話題について。


学生時代彼のレッスンを何度も受けてきました。

彼の人物像というか、人間性は一度会えばわかるくらい強烈です。

彼は江戸っ子で粋な人間。

ビンタした!とのことですが、まあのちに会見で言っているように、彼は愛情のない人間にあそこまで接近しないでしょう。

愛情があって、想いを身体で伝える。

これは暴力ではありません。僕の考えですけどね。

学生時代のレッスンを見ていてもそうでした。

音楽に命かけてない学生に対しては、いつもニコニコと「おじさんが見本みせてあげようね!」といって、吹いていました。

しかし、愛情の意思疎通がしっかりしてる学生に対しては非常に厳しく、愛を持って接していました。

「あいつと俺は親子なんだよ」とコメントを見てもよくわかります。

子が間違えたら親が愛情持ってどつくのは当たり前の話です。

愛情がなければ虐待です。そこはしっかり区別したい。

なぜなら人間はその愛情を感知するセンサーが非常に強いからです。

まして、音楽やジャズやってる人間ならそのセンサーは計り知れないレベルでしょう。

あれを暴力だと認識する風潮こそ次世代が育たない、そして日本の文化レベルが上がらない原因だと思います。

だって、考えてみてくださいよ!(笑)

愛情なかったら演奏時間が押そうがどうなろうが、ニコニコ笑って指揮台に立ってるだけでギャラちゃんともらえるんですよ??!

わざわざ体張って指導しにいくことになんのメリットがあるというのでしょうか?!

それを日野皓正氏はやるんです。

愛情なかったら絶対できないでしょう。


世間の風潮や多数決な教育論に崩されてゆく芸能の師弟関係に想うこと。

世の中の弟子たちよ。

師匠の言うことはいかなる理由があっても絶対です。

最近個人でピアノを教えているアーティストの方からよく聴く話です。

師匠が進めるピアノを無視して違うピアノを買う。

師匠にレッスン代の値段交渉をする。

などなど。

師匠が楽器や機材はこれを買え!といったらそれ買うんです。

師匠がレッスン代はこれ!といったらそれ払うんです。

例えばピアノを教えてもらうという意味で言うとピアニストに指導してもらいに行くのと、音楽教室に行くのとは意味が違う。

それがごっちゃになってしまっている人が非常に多い。

音楽教室で、「それは違うでしょう!と手を叩かれた!」これは超クレームになるでしょう。だってお客様だから。

個人に弟子入りして「それは違う」と愛情をもってどつかれた!「ありがとうございました」でしょう。弟子なんだから。

最近若い世代の親御さんでもたまたま縁あって、ピアニストに子供たちを弟子入りさせる機会のある方もいるでしょう。

そういう方達にも芸事の習得は一般教育とは異次元の世界で動くというのを知っておくべきだと思います。

※日本文化としての師弟関係の概念として。

そして何よりも師匠サイドも大きく変わってきました。


先述の日野皓正氏の場合でいくと、彼は愛情を持った弟子、教え子はしっかりと面倒見ようとするんです。

例えば僕は学生時代一生懸命ピアノを練習していたもんですから、割と可愛がってもらっていました。

大学を卒業の時に、日野皓正氏から電話番号を渡され、「東京に来たら○○と○○を紹介するからいつでも電話してこい!待ってるからな!」「東京で○○のライブハウスと○○のライブハウスに出演するときは俺の名前を出せ!きっとよくしてくれる!」と。

結局私は東京で活動するつもりがなかったことと、ジャズの道へは進まなかったので連絡はしていないですが、そういうことを言える師匠サイドも現代ではいなくなってきています。

日野皓正氏世代の粋な江戸っ子は皆しっかり弟子の面倒の責任を持つという傾向にあるかと思います。

世界の北野だって、自宅に何十人も弟子を住まわせて食わせてるという話ですしね。

僕は音楽的な教養や神道の儀式のため竜笛を学んでいますが、竜笛の師匠も然りです。

一切レッスン代を取ろうとはしません。

それどころか、レッスンが終わると宴の時間を取り、美味しい料理を振舞ってくれます。

何故そういうことができるのでしょうか?!

僕は思うんです、「未来に文化を残すため」。

師匠は技術や文化を教えることの対価を自らに求めません。

未来に続いていく文化に対して求めます。

だから、僕も竜笛に関してはしっかり師匠から学び、未来に返したいと思うんです。

そして私もいつか誰かにピアノを教えるときはレッスン代などは取らないでしょう。

優秀な芸術家が育って、未来に創造性の架け橋を繋げることの方が僕にとっては大きな報酬になります。

みなさんはこれを資本主義の世界で非合理的な古い考えだと思いますか?


40~50代世代で弟子を取っている人はだいたい「レッスン」という感覚です。

音楽を教えることも一つの仕事なんです。

自分の演奏活動に精一杯。

だからある程度弟子との距離もドライに保っていかなければいけない。そんな風に変わってきました。

良い悪いではなく変わりました。そんな時代なのでしょう。

今の60~70代の人が若い時にいた60~70代の師匠となると、もう一世紀前の価値観ですから、今と違って当然です。

弟子が生徒になるから、師匠が先生になる。

師匠が先生になるから、弟子が生徒になる。

どちらが先かはわかりません。

風潮が変われど、どちらも気合入れて教える、気合入れて教わるような師弟関係が大切だと思うんです。


多数決な教育論に対して。

教育論者が世の中にはたくさんいて、彼らは持論を、感情論と論理を巧みに混ぜつつ論じる。

閉鎖的に設置された教育現場というステージの上での倫理を。

師弟関係ってね、文句があれば辞めればいいんです。

弟子に文句があれば破門だし、師匠が気に入らなければ去ればいい。

多くの教育論者は去ること自体が批判の対象になるような現場で、去れば去ったで「引き籠り!!」と問題視するのではないでしょうか?

教育とは本来学びたい人が学ぶ場です。

義務教育とは、学びたい人が学べないことがないようにした制度です。

学びたくない人、学ぶ必要のない人は教育現場にいく必要はないと個人的に思います。

もちろん共産主義的な集団のアイデンティティを詰め込むために必要がある!とかいう議論はまた別にさせてください。


長くなりました、、、、服部がお送りしましたPinocoaの小話でした。