Astor Piazzolla (アストル・ピアソラ)

Astor Piazzolla

引用:Wikipedia

1921年3月11日 – 1992年7月4日(71歳没)

アルゼンチンの作曲家、バンドネオン奏者。

クラシックやジャズの要素をタンゴに融合させ、独自の演奏スタイルを確立しました。

リベルタンゴはあまりにも有名

1921年、アルゼンチンのマル・デル・プラタでイタリア移民の子として生まれました。

四歳の時、一家でニューヨークに移住、15歳までをニューヨークで過ごすことになります。

この頃、ジャズに触れ親しんでいました。

当初はバンドネオンやタンゴへの興味はほとんどなかったそうです。

4歳の頃なので、1925年頃、このころのジャズはどういったものが流行っていたのでしょうか?

1925年頃のジャズ

アメリカでは1920年~1933年まで歴史的悪法とも言われる禁酒法時代でした。

ポイント

禁酒法が当時暗黒街のマフィアらが集まる「スピーク・イージー」と呼ばれる違法酒場で不可欠な存在になって、ジャズ音楽が広まっていくきっかけになります。

1922年頃~ジャズミュージシャンとして有名なルイアームストロングがシカゴ、そしてニューヨークへ拠点を移しているので、もしかしたら幼いころのピアソラとルイアームストロングなど、どこかのライブハウスで会っていたかもしれませんね。

15歳までとのころなので、1936年までニューヨークに住んでいてピアソラはベニーグッドマンや、デュークエリントン、カウントベイシーなど、ジャズの歴史を築き上げてきた錚々たるメンバー の演奏を生で感じながら育っていたのかもしれません。

1931年、10歳の頃にはにブロードウェイのラジオ局でバンドネオンのフォルクローレを録音しています。

以降ステージやラジオなどの演奏を行うようになります。

再びアルゼンチンへ

アルゼンチンに移住後、父の開いたレストランでバンドネオンやハーモニカを演奏していました。

1938年にラジオで先鋭タンゴ「エルビーノ・バルダーロ楽団」に感動して初めてタンゴの音楽性を知ることになります。

1939年には当時最先端だったトロイロ楽団に参加。

バンドネオン奏者として徐々に頭角を表します。

トロイロについて

1944年にトロイロ楽団を脱退後に自らの楽団を結成します。

パリへ留学

自身の楽団で活動していましたが、1954年33歳の頃、タンゴに限界を感じたピアソラはクラシック音楽の作曲家を目指し、パリでナディア・ブーランジェに師事します。

当初自分のタンゴ奏者の経歴を隠していましたが、ナディアにタンゴこそがピアソラ音楽の原点であることを指摘され、タンゴの可能性に目覚めることになりました。

ポイント

1950年代だと日本人画家の金山康喜もパリで活躍していたので、ピアソラと金山康喜もすれ違っていたかもしれなですね!

1955年7月に帰国後はエレキギターを取り入れたブエノスアイレス八重奏団を結成します。

かなり前衛的な作風に保守的なタンゴファンからは猛攻撃を受け「タンゴの破壊者」と罵られ、命を狙われたこともあったと言われています。

1959年には父の死に捧げた彼の代表作とも言える『アディオス・ノニーノ』を作曲します。

アディオス・ノニーノはこちらのベストアルバムにも入っています!

最期

ピアソラは理想的な音楽編成を求めて数多くの楽団の結成と解散をくり返すことになります。

1963年には新八重奏団。

1971年 – 1972年には九重奏団。

1978年 – 1988年には後期五重奏団。

1989年には六重奏団。

この間1973年には心臓発作による休養や、1988年心臓バイパス手術など、健康面に不安を見せながらの活動となりました。

1990年にパリの自宅で脳溢血により倒れ闘病生活に入ります。

その後大統領専用機でアルゼンチンに帰国しました。

1992年ブエノスアイレスの病院にて死去。

71歳でした。