Jose Pepe Colangelo (ホセ・ぺぺ・コランジェロ)


※この記事は2020年4月2日に更新されました。

ツーショット写真が残っていました!!

ホセ・ぺぺ・コランジェロ  (1940年10月22日 生まれ)アルゼンチン・ブエノスアイレス出身のタンゴピアニスト。

生い立ち

彼は幼い頃から、バンドネオン奏者であった父の影響で音楽の世界に入りました。

最初に始めたのはアコーディオンでした。

その後、彼が最も才能を発揮したのがピアノでした。

1955年15歳の頃、アルベルト・ダビラ率いるオーケストラのピアニストとしてアルゼンチンのラジオ番組でデビューします。

1956年には、カーニバルの数々で「ヌエバス・エストレージャス・デ・タンゴ」(タンゴの新しい星)というグループに参加します。

1957年「ヌエバス・エストレージャス・デ・タンゴ」は、アンヘル・ヘンタのオーケストラと共にラジオ・スプレンディドでデビューします。

1960年~62年にかけて、「アンヘル・ドミンゲス」、「ロレンソ・バルベロ」、「エミリオ・オーランド」のオーケストラに所属。

この時期のアルゼンチンは暴力と衝突の時代(1955年-1966年)と呼ばれていて、大変な時代だったにゃ!

また、ラジオ「エル・ムンド」ではエンリケ・アレッシオの楽団に所属しています。

なんとそこではホセ・ベロンが歌っていました。

→ホセ・ベロン(リンク準備中)

様々なグループに参加することにより、彼のテクニックと感性、独自のスタイルはより一層洗練されていくことになります。

優れたパフォーマーとして際立つ転機となったのは、「フリオ・ソーサ」と一緒に、「レオポルド・フェデリコ」が彼をピアニストとして楽団に招き入れた1962年の事でした。

→レオポルト・フェデリコ(リンク準備中)

彼らとの定期的な共演は「フリオ・ソーサ」がなくなる1964年11月まで続き、彼の人生では忘れられない大切な出来事の一つとなりました。

→フリオ・ソーサ(リンク準備中)

フリオ・ソーサの死を機にレオポルドフェデリコは再びパフォーマンスを再開します。

この時もピアノにはコランジェロを起用しています。

歌手「ロベルト・アヤラ」と「カルロス・ガリ」も加わり、Colángeloはこのグループで2年間演奏を続けることになりました。

レオポルド・フェデリコのオーケストラで、演奏家としての質が高い仲間たちから強い影響を受けたことを、彼自身も自覚しています。

当時の仲間たち
→アントニオ・プリンシペ
→オスヴァルド・モンテス
→フアン・ホセ・モサリーニ
→ロマン・アリアス
→マウリシオ・ミセ
→ロベルト・ロタ
→エミリオ・ゴンサレス
→アルベルト・デル・モナコ
などなど

トロイロ楽団へ

引用:Wikipedia

その後の最大の転機となったのは、「オスバルド・ベリンジェリ」の代理でアニバル・トロイロ楽団のピアニストを務めたことでした。

アニバル・トロイロ

コランジェロはこの代役を機にトロイロ楽団に正式に迎えられ、最後までトロイロ楽団のピアニストとして活躍したラマ~

ここでコランジェロ本人が語った逸話があるので紹介するにゃ!

代役の際のエピソード
その日タキシードを手にして到着すると、トロイロが私に近づいてきて、ハグとキスをくれました。
私にコインを求めて、その代わりに、手作りのスイス製のスカーフをくれました。
公演の最後に、聴衆の誰かが私に挨拶するために私に近づきこう言いました。
「私たちは前任者(オスバルド・ベリンジェリ)の方が好きだ!」と。
そのことをマエストロ(トロイロ)に伝えると、彼は私にこう言いました。 “Pibe, yo a usted le tengo mucha confianza y no me puede defraudar”「【君ー(Pibe)】、私は【あなた(usted)】に大きな信頼を持っています。
【あなた(usted)】は私を失望させることはできませんよ。」と言いました。
時がたって、私は、トロイロのその時の態度や言葉が、彼が偉大な知恵をもって行った、父性主義の性質と一貫している事が理解できたのです。

トロイロの言葉の文頭のPibeが子供に向けて使う言葉に対し、そのあとustedと(丁寧に相手を表現する)が使われているところが、面白いんです!

その3日後のこと、サン・マルティン劇場でトロイロ楽団のリサイタルが行われます。

→サン・マルティン劇場はこちら(スペイン語サイトへ移動します)

それがコロンジェロにとっての、人生最大の試験のようなものになりました。

リサイタルでは12の器楽曲を演奏し、トロイロはコランジェロに自由にソロを演奏する機会をたくさん与えました。

もちろん人生最大の入団試験は見事合格だにゃ!

その後最後までトロイロ楽団のピアニストを務めあげたコランジェロ。

テレビ局は、トロイロがなくなってすぐに(1975年)彼の追悼番組を行いました。

その際、最後までピアニストを務めたコランジェロは聴衆に向かってこう言います。

「非常に大きな太陽が消えたと思います。どうか、彼の友人、同僚、そして崇拝者であった者たちの中に、その散乱光線が残っていますように。」

自身の楽団設立へ

1971年には、レコーディング企画の為に4重奏を結成します。

メンバーは

→ネストル・マルコーニ (Nestor Marconi)
→オマール・ムルタグ(Omar Murtagh)
→アニバル・アリアス(Aníbal Arias)

その録音は、大変長時間に及んだといいます。

このレコーディングのアルバムはレコード化されていますが、CDとしてデジタルリマスターなどはされていません。

このレコーディングのレコード紹介ページはこちら(スペイン語のサイトに移動します)

1979年には自身の最初のオーケストラを結成。

オーケストラのメンバー
→リサンドロ・アドローベル(バンドネオン)
→アントニオ・プリンシペ(バンドネオン)
→ウーゴ・バラリス(バイオリン)
→アルベルト・デル・バグノ(バイオリン)
→マリオ・アルセ(バイオリン)
→エクトル・コンソール(コントラバス)(場合によってはエンリケ・ランノーがチェロに参加)

日本でも買えるコランジェロの作品紹介

CD “Clasicos”

CD “Duende y Misterio”

彼の代表曲の一つ「Y ahora que haré?」 の楽譜にメッセージを書いて、誕生日にプレゼントしてくださいました。一番上にメッセージと、その下に奥さんと飼い犬の名前「Toy」も!!

素敵なプレゼントだラマ~

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