キンケラ・マルティン生誕130周年記念イベント


※この記事は2020年3月12日に更新されました。

本日はアルゼンチンで有名な画家:キンケラ・マルティンのイベントがあったので、ボカ地区にある美術館に行ってきました。

美術館自体の紹介はまた観光カテゴリーでしっかりと特集したいと思います。

本日はキンケラ・マルティンのご紹介~!

Pinocoa TVの方では、少しですが、イベントの様子や、上から眺めたボカ地区の様子の映像などもお届けしていますので、動画派の方は是非動画もチェックしてみてください!

→Pinocoa TV( 画家:キンケラ・マルティン生誕130周年記念イベント )

キンケラ・マルティンとは・・・?

引用:Wikipedia

キンケラ・マルティンは、1890年3月20日にブエノスアイレスで修道女に捨て子として発見されました。

その時、彼には半分に破られたハンカチがついており、そこに「この子は、Benito Martin (ベニート・マルティン)です」と書かれていたそうです。

この半分のハンカチ・・・

マルティンの人生の中で、もう半分のハンカチ(実の両親が持っているはず)と出会えるか。。。

という希望を最後まで捨てずに、ずっと持っていたそうです。

ご両親もきっと最後までもう半分のハンカチを持っていたラマね

このような境遇なので、正確な生まれた日時は分からず、戸籍上は3月1日となっているため、今回のイベントも前日の2月29日に行われました。

6歳のとき、チンチェジャ(Chinchella)夫妻の元に養子として引き取られます。

キンケラ(Quinquela)は、彼の養父の洗礼名から取られました。

14歳の頃から、ブエノスアイレスのボカ地区(La Boca)にある夜間美術学校に通いだします。

1910年より、画家としての活動を本格的に開始し、展覧会で絵の才能を発揮することになります。

特にボカ地区の風景画をたくさん描いたにゃ!

アルゼンチン大統領のマルセーロ・アルベアールが、キンケラ・マルティンの絵画を非常に気に入り、頻繁に招待されるほど有名になっていきます。

その縁もあり、キンケラ・マルティンは1922年にスペインのマドリッドにあるアルゼンチン領事館の書記官に任命されました。

マドリッドでも彼の絵画の展覧会が開かれます。

その後、1925年にはフランスのパリへ、1927年にはアメリカ合衆国のニューヨークへ移ります。

その後1929年にはイタリアのローマへ、1930年にイギリスのロンドンに行き、アルゼンチンに戻ります。

それからは主にアルゼンチンに根差して、画家としての活動に終始する。

1938年にはアトリエの建物を購入し、一階が幼稚園となるように改装しました。

この建物が今のキンケラ・マルティン・ボカ美術館となります。

1977年1月28日に死去。

推定87歳でした。

日本の美術館にはあまり所蔵されていませんが、兵庫県公館には彼の作品《港風景(1)》が所蔵されています。

ボカ地区:ラ・ボカ

ボカ地区は港町で、昔は、船が出入りしたり、その船に関係して働いている労働者の集まる、地域でした。

一説によると、当時の労働者たちが音に合わせて踊っていたことから、ここでタンゴが発祥したとも言われています。

タンゴのダンスは最初男同士のペアだったラマね


Boca (ボカ)は口という意味ですが、なぜ口と名付けられたかというと、この港が口の形をしているからでした。

ちなみにこのボカ地区はブエノスアイレスの中でも治安に注意したほうがいい場所になっているので、観光の際はしっかりと周りに注意しながら移動してください。

カメラを無防備にぶら下げての観光は危険だにゃ!!!

常に周りに注意を払って、複数人で観光すると良いラマね!

とても治安が悪い場所なので、バリオの紹介はまた時期をみてお届けしたいと思います。

今回はアルゼンチンを代表する画家:キンケラ・マルティンの紹介でした。

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