【ブエノスアイレス観光】Recoleta おすすめの観光スポット


※この記事は2019年12月5日に更新されました。

バリオ:レコレータ

ブエノスアイレスでは高級住宅街の一つ、また観光スポットがたくさんあることもあり、ブエノスアイレス観光で訪れる機会も多いかもしれません。

本日はその中から観光スポットを二か所紹介したいと思います。

観光スポットの映像も用意してますが、ネタバレが嫌だよ~という方は映像の再生は辞めておいてくださいね!

→バリオって何??

おすすめ観光スポット

1、El Ateneo 世界で一番美しい本屋 

El Ateneo エル・アテネオはブエノスアイレスにある本チェーンの一つです。

その中でも El Ateneo Grand Splendid (エル・アテネオ(チェーン店名)+グラン・スプレンディッド(元の劇場名))は、観光地としてとても有名です。

1912年に設立された伝統的なブランドで、現在アルゼンチンには、ブエノスアイレス内を中心に34を超えるチェーン店舗があります。

日本でいうところのジュンク堂?のような感じでしょうか。。。

在庫書籍は驚異の120,000タイトル。

全盛期の2008年の数字では、1日あたり約3,000人の訪問があり、70万人以上がそこで書籍・CDなどを購入。

今では外国人のための観光スポットの一つになっています。

この エル・アテネオは、ただの本屋さんではなく、元々劇場だったところを改装し現在は本屋として使っており、よくある街の本屋さんとは一味も二味もつくりになっています。

世界にも認められた美しさ
2019年、ナショナル・ジオ・グラフィックは世界で1番美しい本屋と名付けました。

【所在地】
住所:Av. Santa Fe 1860, Capital Federal.
営業時間: 月曜日から木曜日 9:00 – 22:00
金曜日・土曜日 9:00 – 24:00,  日曜日 12:00 – 22:00 

一人旅の場合はタクシーでこの地図見せたらばっちりです。

→ブエノスアイレスでタクシーの乗り方とスペイン語メモ

建物自体は1917年に建設が開始され、1919年5月にオーストリアの実業家Max Glücksmannによってopenしました。

彼は、かつてからあった北国立劇場を基盤に、そこを映画劇場を設置するため再設を開始。

当時新しい劇場は「グランド・スプレンディッド」と呼ばれ、今でもその名前が受け継がれています。

4階にわたる客席と、平面に500席。
特筆すべきことは、タンゴの偉大な作曲家ロベルト・フィリポがこの劇場に捧げた「Gran Splendid」というタンゴを1927年に作曲した事や、偉大な歌手・作曲家であったカルロス・ガルデルがこの同じ建物にて現在のレーベルEMIの元となるNacional Odeónのレーベルでの録音を始めた事が挙げられます。

それでは、映像はこちら(※本屋入店は5分49秒あたり)
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この動画のスタート地点はこちら( Santa fe 1200番通り )
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2、レコレータ墓地

1882年に建設され、アルゼンチンの歴史上の有名人や、富裕層の人たちが眠っています。

基本的には火葬はせず、防腐処理のみで埋葬されているそうなので・・・

もう墓の下は、マイケルジャクソンのスリラーのMV状態となっているわけです。

そんなレコレータ墓地ですが、最も有名な人物は、【エビータ】の愛称で親しまれた、【マリア・エバ・ドゥアルテ・デ・ペロン】のお墓です。

観光ガイドなどでは、「レコレータ墓地」の他に、「エビータの墓」と紹介されていた李もします。

彼女は大統領夫人として時には政治的にも介入し、アルゼンチンの歴史上の人物となりました。

マリア・エバ・ドゥアルテ(エビータ)はパンパス草原の貧しい村・ロス・トルドスでバスク系アルゼンチン人の未婚のコック、フアナ・イバルグレン(1894年 – 1971年)と妻帯者である農場所有者フアン・ドゥアルテ(1872年 – 1926年)との間に生まれた5人の私生児のうちの1人として誕生しました。

15歳で家出をしてブエノスアイレスに上京します。

ブエノスアイレスでは、日系人カフェで働きながら、水着グラビアや広告モデルなどのモデルの仕事をしつつ、高級売春婦としても生計を立てていました。

1930年代後半頃より次第にラジオドラマの声優や映画女優として活躍しはじめ、B級メロドラマ映画やラジオドラマ「エル・ムンド」に出演していた1943年に、パーティーで軍事政権の副大統領兼国防大臣兼労働局長の肩書きを持つフアン・ドミンゴ・ペロン大佐に出会います。

以後ペロンの愛人として過ごし、自身のラジオ番組などによってペロンの民衆向け政治宣伝を行い、第二次世界大戦下で中立国として連合国と枢軸国の双方へ牛肉の輸出を行うことで膨大な外貨を稼いでいたとも言われています。

1952年にエバ・ペロンは33歳で子宮癌によって死去しました。

ブエノスアイレスで行われた葬儀には数十万の市民が参列。

そんなエビータの眠るレコレータ墓地の様子はこちら
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二か所とも完全な観光地なので、カメラを持った方もたくさんいますが、それでも一人旅の場合は常に周りに注意を払い、おかしいな・・・・という雰囲気を感じたらカメラをかばんにいれましょう。

みなさんの参考になれば幸いです。