【リピート記号】何のために繰り返すのか?

※この記事は2020年9月24日に更新されました。

本日は音楽コラムということで、西洋古典をはじめとした音楽にはなぜ繰り返しがあるのか?

について考察していきたいと思います。

繰り返しについて考える時に、筆者がまだ学生の頃、とあるジャズピアニストの先輩(40年くらい歳の離れたベテラン)が「俺はなんでベートーベンとかのクラシックの曲が同じ場所を何回も繰り返して弾かなきゃいけないのかわからん。。。だからクラシックは面白くないんだ!」と言っているのを聴いて、「いやいや、ベートーベンなんかせいぜい数回でしょ、ジャズなんか何十回同じ場所繰り返してるねん」と思ったのを思い出します。

なぜリピート記述があるのか?

これは単純明快です。

単純に形式だからです。

楽曲を作曲する際には、やはりこの形式は避けて通れません。

もちろん避けて通れない作曲家とは、誰かに納品したりする場合の話で、自由な表現の場では守る必要も全くありません。

自由な表現で作曲をしようと思っている方は形式に縛られずに自由に創作するべきだと思います。

ただ、多くの西洋古典音楽の作曲家は貴族のため、出版社のため、オペラのため、などなど誰かに納品するために作曲していたわけですから、愚直に世間の流行や、世間での常識的な形式を守る必要があったわけです。

この形式を守る際に合理的且つ効率的に楽譜を構成するためにこの記述(リピート機能)は非常に有効でした。

ソナタ形式、ロンド形式、変奏形式、三部形式、フーガ、舞曲などなど、様々な形式があり、作曲家が納品のために作曲する場合、世間の流行などを敏感に感じながらまずはこの形式、フォームを決めなければいけませんでした。

リピート記号は形式のためというのはわかりました。

ではなぜそもそも多くの形式、フォームでリピート機能が採用されているのでしょうか。

この機能が常識的なフォーマットとして西洋古典ならびに、その他多くの音楽形式として受け入れられてきた理由について考えてみたいと思います。

なぜリピート機能があるのか?2つの仮説

1、尺稼ぎ

さて、当然と言えば当然ですが、尺稼ぎです。

似たようなフレーズで少しニュアンスを変えてイチイチ書いていたら大変なことになります。

リピート機能を挿入するだけで単純にこれまで弾いてきた倍の時間を稼ぐことができるようになるわけです。

コンサートなどでもそうですが、音楽家は基本的に聴く人を飽きさせない、でも物足りなさを感じさせない絶妙な時間とプログラムを考えて構成していきます。

当時の作曲家ももちろん考慮して作曲していたわけで尺は稼げるし、紙とインク代は浮くわで、一石二鳥であったと言えるわけです。

2、フレーズを覚えてもらうため (おかわり機能)

これはかなり重要な役割を担っていたように感じます。

レコードが初めて市販されたのは、1948年6月21日でした。

それまでは音楽を記録して誰かに届けることはできませんでしたし、お気に入りの音楽を聴くためには演奏家のところにいって演奏をするか、自分で演奏技術を習得するしかなかったわけです。

それでは演奏技術を習得できない人にとってお気に入りの音楽を日常で楽しむためにはどうすればいいでしょうか?

そうです、脳内再生しかなかったわけです。

脳内再生するためには、頭に叩き込まなければいけません。

「今のフレーズいいね!気に入った!」もう一回!

というおかわり機能があったのではないでしょうか?

実際にジャズを勉強していると実感しますが、演奏家の演奏したフレーズを何千回とリピート再生して演奏できるまで徹底的に聴きまくります。

ジャズミュージシャンになるためにはここまでする必要がありますが、そうでなはなく、脳内再生でよければ何度か聞いただけで可能になるはずです。

クラシック音楽も聴衆におかわりを届けるため、そして、多くの聴衆が口ずさんでくれるほどに覚えてもらうためにテーマとなるフレーズを繰り返し演奏現場で聴かせていたのではないでしょうか。

非常に合理的な記述

  • 紙代インク代の節約
  • 愚直な尺稼ぎ
  • 聴衆に覚えてもらえる

これらの合理的な理由でリピート記述、リピート機能は非常に大切な存在です。

冒頭でも触れましたが、ジャズ音楽に至ってはリピート機能なしでは成立しません。

例え15分のテイクでも楽譜の中身はたった数十小節、時には数小節を延々繰り返しているだけですから。

日本にはない文化

さて、合理主義的西洋思想から生まれた合理的な記述ですが、日本の伝統音楽にはリピート機能は元来備わっていませんでした。

日本の古典芸能の譜本(楽譜)にはリピート機能はなく、古典譜本(西洋古典と同年代時期のものでも)の場合、同じフレーズをそのまま紙にタイムラインで書かれ続けています。

明治時代に入り、本格的に西洋文化が入ってきた頃から一部改変されたり、室内楽(非儀式音楽)の編曲の際にリピート機能が導入され、「冒頭に戻る, この箇所を繰り返す, 」などの機能が追加されています。

日本文化特有のわびさびをそこに感じることができます。

宗教儀式の際は状況に応じて繰り返す必要が生じるものですが、西洋音楽の場合は、規定されたBPM(テンポ)+小節数+リピート回数で時間の調整は秒単位でかなり正確に割り出せます。

ポイント

秒単位で調整できるからこそ、年末によく行われるカウントダウンコンサートなどは、テンポさえ守ればぴったりニューイヤーに合わせて終演させることができます。

日本音楽の場合どうするのでしょうか?

ここが日本文化の非常に面白いところになってくるわけです。

「なんとなくみんなで繰り返す」

が正解です。

○○であるならば、○○

という合理的要素は日本の文化にはありません。

楽団のリーダーがなんとなく動いたフレーズに空気を読みながらついていったりするわけです。

終わるポイントもなんとなく空気を読み、綺麗に終わります。

もちろんその年月と共にある程度の「パターン」は決まってきます。

そのパターンも師匠から明確に指示をもらえるわけではなく、長い時間をかけて空気を読み解いていきます。

当然譜本にはテンポの指示なども書いてありません。

西洋音楽的なアインザッツ(アンサンブルなどでの音の出だし)を揃える必要もなければ要求されることもありません。

非合理性が産み出す美学

芸術分野ですから、合理性こそが正義というわけではありません。

時に日本文化的な非合理的なタイムラインや、「美しい無駄」「曖昧な余白」が美を表現することもあるわけです。

リピート機能とは、音楽そのものに備わっている美しさを損なわずに、合理性と芸術性のバランスを保つための大切な役割を担っているのかもしれません。

音楽家自身が、合理性と芸術性のバランスを保つための番人として、上手に付き合っていきたい大切な要素であると言えるのではないでしょうか。

執筆者:こうたろう

元ジャズ系ピアニストでしたが、裏方に転身。
金田明彦氏直伝金田式DC録音専門の「タイムマシンレコード」で音響を学び、秋山庄太郎氏後継の写真スタジオ「村上アーカイブス」で映像と写真を学ぶ。
現在は投資家兼フォトグラファーをしつつPinocoaで音楽史を研究。
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